熟練技能をIT化する方法

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(株)インクスのプロセス・テクノロジー

「インクス流! 驚異のプロセス・テクノロジーのすべて」(ダイヤモンド社発行)という本があります。

(株)インクスの創業者兼社長(当時)だった、山田眞次郎氏が書いた本です。

この本は、私が弁理士としての知識・経験・暗黙知を活かして「暗黙知翻訳家」になろうと決めた契機となったものの一つです。

2003年発行の本であり、その点ではかなり古いのですが、書かれていることは全然古くないと思います。

この本には、「神業とは? その本質に迫る」との小見出しを付して、(株)インクス(当時)が熟練者の暗黙知を言語化して、彼の持つ熟練技能をIT化した方法の具体例が、書かれています。

彼らはそれを実践し、成功させたのです。

彼らは、本当にすごいことをしたのだと思います。

その具体例をこの本から抜き書きしてみますね。そうすると、「暗黙知を言語化して熟練技能をIT化する方法」が分かると思いますので。

熟練技能をIT化した具体例

本格的な金型研究を始めるにあたり、96年春、私は一人の熟練金型職人にインクスに来て力を貸してくれるようお願いした。

当時66歳ですでに引退していた一級仕上師・石井二郎さんである。

石井さんは、私にとって三井金属時代の先輩である。

(中略)

神業とは何か? その本質を見極めるためである。そして、その時が来た。

「石井さんの匠の技を、我々に伝承してくださいよ」

私の申し出に、多少戸惑いつつも、石井さんは快く応じてくださった。我々は、45年間この道一筋でやってこられた一級仕上師のすべての技を、見て、聞いて、触って、計り、書き取り、徹底的な分析を行った。

神業といわれる作業工程において、「神」が行うあらゆる「技(業)=意思決定」を、秒刻みで分析した。

どこが技なのだろう?

技には何が隠されているのだろう?

いま、目は何を見ているのだろう?

指は何を感じているのだろう?

すべての脳の判断、目の動き、手の動き、指の動き一つひとつを、作業軸と時間軸に位置づけ、それらの意味づけを行っていった。

石井さんが溝を掘る。紙やすりを使ってそのスライドを指で丁寧に磨いていく。

「どうして磨いているんですか?」

「間にうまく入らないからだよ」

石井さんはスライドをしばらく磨き、溝にそのスライドを通す。

「よし、これで、しっくりいった」

「『しっくり』って、何ですか?」

「ほら、こうして動かせるけど、下に向けても落ちないでしょう。これが『しっくり』ということです」

「なるほど。じゃ、それ貸してくださいよ」

我々は、石井さんが削ったスライドと溝の隙間を計測した。3ミクロンである。

「じゃ、石井さん、しっくりって3ミクロンなんですね」

こうして熟練の暗黙知は、少しずつ形式知へと知の形を変えていった、

神業はマニュアルとなり、技能は再現性のある技術に置き換えられた。

金型研究を開始して2年半がたったある日、何の経験もない19歳の社員がそのマニュアルに従って実際に金型を作った。すると、この道一筋の熟練工と同じ金型を、19歳の若者が作れてしまった。

本当に同じものができた。

 ここに書かれているのは、熟練者が持つ「暗黙知の数値化」です。

暗黙知が数値に置き換えられれば、IT化はしやすくなりますよね!?

 

次は、少し長くなりますが、熟練者の「暗黙知の言語化・構造化」の例を示しましょう。

熟練者とのインタビューの情景が描かれているので、すごく分かりやすいと思います。

「その判断は、本当に必要か?」という小見出しのあと、次のような文章が続いています。

熟練者の「暗黙知の言語化・構造化」の例

我々は「人の判断」を基準に工程分析する手法を研究する中で、現状の工程では作業担当者がその複雑な手順ゆえに”自分が決定した”と思い込んでいる工程も、実際には既知の情報やルールに従って計算すれば答えを求められることに気づいた。

そして、熟練の技と言われるものの中には、そのような工程が実にたくさんあることがわかってきた。

我々が目指す工程は、IT化された自動・無人化工程である。

自動化・無人化実現のためには、人による判断を限りなくゼロに近づけていかなければならない。

熟練者が暗黙知に基づいて多くの判断を行いながら実施している工程を、非熟練者でも実施できる工程に置き換えていかなければならないのである。

彼らがどのようなロジックで判断しているのか、そこが明らかにならない限りプログラムを書くことはできない。

しかしながら、熟練者は、自らの熟練の技をなかなか言葉にして表現しようとしない。

だからこそ、長い間、熟練の技はごく限られた人たちだけのものとして、大切に守られてきたのである。

我々の分析が、彼らの技能に踏み込んでいくとき、そこには必ず葛藤がある。熟練者の人たちから、彼らの技の本質をいかに引き出すか、その課題に我々は挑戦し続けている。

続いて、自動車のインパネ内部に取り付けられる空調のための管(ダクト)の設計について、インタビュー例が書かれています。

インパネの造形面(デザイン面)が片方にあり、反対側にはMBR(メンバー)という部品が置かれるので、ダクトは、メンテナンス容易性を考慮しながら、造形面とMBRの間に通さなければなりません。

熟練者とのインタビュー例

(インクス)ダクト径はどのようにして決めているのですか?

規格化されたダクトがあって、そこから選択するのですか?

(熟練者)造形(デザイン)ってのは、コロコロ変わって同じものはないからねぇ。規格化しても意味がないよ(熟練者は必ずこう言う)。

(インクス)ああそうですか。じゃあ、例えば、どのように設計するんですか?

(熟練者)うーん、そうだねえぇ・・・・。(ここでけっこう時間がかかる)まずは、ダクトの大きさを概要で決めるね。ダクト自体は、真円で径が大きいほどエアーの流動性がいいから、まあだいたい直径15ミリくらいを仮置きするね。

(インクス)仮置きというと、どの当たりに置きますか?

(熟練者)まあ、造形面から10ミリくらいは離すかな。でも、後ろにMBRという部品があるから、それとぶつからないようにしないとね。

(インクス)なるほど。それで、MBRとの距離はどれくらい離すのがいいんですか?

(熟練者)それはなんとも言えないね。昔、5ミリでいいかと思って設計したけど、作業性が悪い、メンテナンスのときに手が入らないとかで、結局8ミリにしたね。

(インクス)でも、8ミリにすると、造形面からの距離10ミリ、ダクト径15ミリで、ここのクリアランスが入りきらないんじゃないですか?

(熟練者)そのときは、真円じゃなくて楕円にしないといけないんだよ(ここで設計者は、初めて形状を判断することに言及する)。

(インクス)じゃあ、楕円のダクトを最初から設計したらどうですか?

(熟練者)それは、空調の性能を落とすから最終手段だね。

(インクス)空調性能が重要なら、真円と楕円の両方の空調性能の変化を実験してみないといけませんね。

それと過去の機種から、いままで「エイヤ!」で決めていたクリアランスを明確にしないといけませんね。

妥当性を確かめる必要がありますね。

(中略)

(熟練者)空調性能とダクト径との関係グラフを求めるために実験してきたよ。

(インクス)なるほど。この実験結果によれば、径を大きくしていったとき、真円と楕円の空調性能が逆転するのは、ここのポイント(2本の線の交点)ですね。

真円はダクトの径を大きくすればするほど空調性能は上がりますが、このポイントまでは楕円のほうが性能は高いということですね。

(熟練者)そういうことになるね。(彼はこのことを経験から暗黙知として知っていて、その暗黙知的勘を頼りに「エイヤ!」と決めていたことになる)。

(インクス)それからクリアランスに関しては、昔の機種5機種くらいで調べると、C機種では最初12ミリにしたけれど、入らなかったので楕円にして9ミリにしたわけですね。なるほど、なるほど。そういう設計をしていたんですね。

ところで、このような設計でダクト径を決めるのに、これまでどれくらい時間がかかっていましたか?

(熟練者)CAD上で断面を切ってクリアランスを測ってダクトを置いて・・・・、いろいろ考えるから、結構大変なんだよ。2時間くらいかなぁ。

(インクス)それでは、(ここでまとめに入る)まずは径15ミリのダクトを造形面から10ミリのところに仮置きして、MBRとの距離を8ミリ以上離す形でダクトを配置して径15ミリで納まらないなら、14ミリ、さらに13ミリと、小さくしていきましょうか。

それでどんどん径を小さくしていって、楕円のダクトのほうが空調性能がよくなる場合は楕円にしましょう。

この作業自体は、CADのパラメトリック機能を活用して自動設計します。

ここまでやって、だいたい5秒くらいで計算は終わります。

(熟練者)だけど、ここまでできると・・・・・もう俺って。

以上のような対話(インタビュー)を通じて、熟練者の暗黙知が言語化され、構造化されます。

「構造化」というのは、上記対話(インタビュー)にあるように、熟練者の判断プロセスのルールやロジックを明らかにするように言語化することだと言えます。

つまり、「ダクト仮径」、「造形面の位置」、「MBRの位置」、「メンテナンス性」、「空調性能」という五つのパラメータを入力とし、熟練設計者の暗黙知によって、「ダクト径」、「造形面とダクトのクリアランス」、「MBRとダクトのクリアランス」という三つのアウトプットを得る、とう判断プロセスが、次のような一連の判断プロセスに変換され、コンピュータで実行させることが可能になるのです。

まず、「ダクト仮径」と「造形面の位置」から「ダクトの仮位置」を計算し、次に、その「ダクトの仮位置」と「MBRの位置」から、「MBRとダクトの仮クリアランス」を計算します。そして、この「MBRとダクトの仮クリアランス」を規格化された「メンテナンス性」と比較し、OKと判断したら、ダクト径(真円)を選択します。

この「MBRとダクトの仮クリアランス」を規格化された「メンテナンス性」と比較し、NOと判断した場合は、規格化された「空調性能」と比較し、真円のほうが良いと判断した場合はダクト径(真円)を選択し、楕円のほうが良いと判断した場合はダクト径(楕円)を選択します。

このようなプロセスを経ると、自動的に、「造形面とダクトのクリアランス」と「MBRとダクトのクリアランス」が決まります。

この判断プロセスは、フローチャートに描くともっと分かりやすくなりますね。

すばらしい。

その後、続いて、次のように書かれています。

暗黙知見える化の難しさ

(前略)

分析前は、熟練設計者が過去からの経験によってあれこれ判断し、2時間ほどかけて決めていたダクトの径は、分析後のプログラムによって、わずか5秒でコンピュータが計算してくれるようになる。

しかし、このような工程の変革は、設計者が一人だけで自問自答しながら成し得ることではない。

これまで誰にも何も言わずにやってきた自分だけの仕事の内容を、いきなり文章に書きなさいと言われても、それは所詮無理な話である。

熟練者の暗黙知は、誰か、引き出してくれる相手がいて、その相手と「ここはこうですね、こっちはこうですね」と対話を繰り返しながら、少しずつ少しずつ数値化されていく。

そして、自分以外の他者が、「あなたがやっていることは、こういうことでしょう」と文章や図にして見せてくれたとき初めて、自分はこういうことをやっていたのだと彼らは理解するのである。

終わりに

「暗黙知を言語化して熟練技能をIT化する方法」とは、どのようなものか、いくらか、ご理解いただけたでしょうか?

(株)インクスは、金型の製造プロセスをIT化する際に、暗黙知を言語化して熟練技能を取り込み、劇的な工程短縮を実現して、一時期、大成功を収めました。

NHKでも放映されましたから、ご存じの方も多いでしょう。

なお、Amazonには、本書について、

「コズモドットコムの”e-dreams”とセットで買うべし。
失敗から学ぶにはとてもよい見本です。
ものづくり企業なのに何故か起きた社内でのものづくりの空洞化。
働かない高学歴のぶら下がり社員の増加。
見栄での本社移転、無人化の為のメンテナンスの手間という矛盾等々。
技術とノウハウが必要な金型製造会社の急速な拡大の危険性。
それに気付かず、あちらこちらを講演にまわるTOP。
危険な会社の見本としてぜひお読みになる事をお奨めいたします。」

という書評が載っています。

事実、(株)インクスは、劇的な工程短縮が時代のニーズに合わなくなり、2009年に経営危機に陥りました。今は再建されて、(株)SOLIZE(ソライズ)という会社になっています。

そして、今は、インクス時代に培った、人の「判断」にフォーカスした分析手法をもとに、業務変革支援事業を展開しているとのことです。

私がやっていること(やろうとしていること)は、基本的に、上述したような暗黙知の見える化を通じて、組織内で熟練技能を伝承・共有できるようにすることです。IT化するところまでは行きません。暗黙知の見える化は、後継者が実践できる(暗黙知を再現・習得できる)ようにする段階で止めます。

IT化するには、途方もない労力が必要と思われるからです。

また、その労力に見合った成果が得られるかどうか、つまり、費用対効果も考えないといけませんし・・・。

ということで、今日はここまでです。

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